[2018年3月3日(土) / 1y4m14d]
続いて、「了仙寺」へ。
1854年に日米和親条約が締結され、ペリー艦隊が開港された下田に入港した際、ペリー一行の応接所兼幕府との交渉場所となったお寺です。
本堂には、黒船従軍画家ハイネ筆の「ペリー提督黒船陸戦隊調練の図」の絵が掲げられていました。
この図中の本堂は現在のもの、鐘楼は大津波によって消失したそうです。
こちらはペリーロードに続く道なのですが、同じ道を100年以上前にペリーも歩いたのかと思うと不思議ですね。
了仙寺境内には「MoBS黒船ミュージアム」が併設されており、3,000点以上の開国に関する映像資料の原本を所蔵しているそうです。
奥には了仙寺横穴遺跡があり、古墳時代にはお墓として利用されていたそうです。
洞窟内からは、人骨・玉類・装身具・土器などが出土しているとのことでした。
時期的に梅がとてもきれいでした。
5月には境内から参道にかけて無数のアメリカジャスミンが有名だそうです。
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